野球場「はらっぱスタジアム」誕生物語

広大な草原に子どもたちの笑い声と白球の音が響く――そんな光景が日常になった「はらっぱスタジアム」。完成した今では地域の人々にとって欠かせない存在ですが、その誕生にはたくさんの物語と人々の想いがありました。

この記事では、私自身が関わった体験や地元の人から聞いた話を交えながら「はらっぱスタジアム」の誕生までの歩みを紹介していきます。


草原から始まった夢

もともと「はらっぱスタジアム」ができた場所は、本当にただの広い草原でした。私が子どもの頃、友達と集まってゴムボールを投げたり、段ボールをベースに見立てて遊んだりしていた思い出があります。

ボールが転がると草に隠れてしまったり、グラウンドがでこぼこでケガをしたりすることもありましたが、不思議とその不自由さが楽しかったのです。

大人たちもそんな子どもたちの姿を見て、「ここをちゃんとした野球場にできないだろうか」と少しずつ話題にするようになったのが始まりだったそうです。


地域の人々の声

草原を整備して野球場にする計画は、最初からすんなり進んだわけではありませんでした。「お金がかかる」「本当に必要なのか」という声もありました。しかし、地域の有志や野球好きの親たちが中心となって署名を集めたり、町の会議に参加して熱意を伝えたりしました。

私の父もその一人で、「子どもたちに安全なグラウンドを残したい」と話していたのを覚えています。母は母で「野球だけでなく運動会やお祭りもできる広場になるなら素敵だね」と夢を膨らませていました。


建設に向けた取り組み

いざ建設が決まると、地域の人々が驚くほど積極的に関わりました。地ならし作業には地元の建設会社や農家の大型トラクターが出動し、休みの日には親子でフェンスの設置やベンチのペンキ塗りを手伝いました。

私も中学生の頃に、友達と一緒にスコップで土を運んだり、草を抜いたりしたことを覚えています。汗だくになりながら作業した日の夕方に見た、少しずつ形になっていくグラウンドの姿は今でも忘れられません。


初めての開場式

完成したときの喜びは、地域全体を包みました。開場式の日は、子どもからお年寄りまでたくさんの人が集まり、簡易ステージで吹奏楽団が演奏をし、町長の挨拶がありました。子どもたちによる始球式では、会場から大きな拍手が沸き起こり、「ここは地域の宝物になる」と誰もが感じた瞬間でした。

私もその場に立ち会い、「あの草原がこんなに立派な野球場になるなんて」と感動して胸が熱くなったのを覚えています。


野球だけではない「はらっぱスタジアム」の魅力

完成後の「はらっぱスタジアム」は、野球の大会だけでなく、多目的に使われるようになりました。少年野球の公式戦、地域のソフトボール大会、さらには野外音楽フェスや地域のお祭りまで。

私が印象に残っているのは夏の夜に開催された「星空シネマ」。芝生に寝転んで大きなスクリーンで映画を観るイベントは、普段の野球場とは違った表情を見せてくれました。「ここがあるからできること」がどんどん広がり、地域の人々の交流の場としても重要な役割を果たしています。


子どもたちの成長の場

現在も、放課後になると小学生や中学生が集まって練習に励んでいます。整備されたグラウンドだからこそ思い切りプレーができ、試合を通じて仲間との絆が深まっていきます。

私が指導者として関わったとき、ある子どもが「ここでプロ野球選手になりたい!」と目を輝かせていたのが印象的でした。「はらっぱスタジアム」は単なる運動場ではなく、未来への夢を育む場所になっているのだと実感しました。


まとめ

「はらっぱスタジアム」が誕生するまでには、地域の人々の情熱と協力がありました。草原で遊んでいた子どもたちの夢、親たちの願い、そして地域全体の支え。それらが一つになって誕生したのが、この野球場です。

今ではスポーツだけでなく、地域イベントの拠点としても欠かせない存在になり、子どもから大人まで多くの思い出を紡ぎ続けています。

「はらっぱスタジアム」の誕生物語は、まさに地域が一丸となって築いた希望の物語。これから先も、ここで育つ数多くのドラマが、また新しい歴史をつくっていくことでしょう。

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